オーストリア旅行記(2003年の再掲)その1
現在からさかのぼること13年前、2003年7月に、両親とオーストリアに行きました。
カンガルーのいる方じゃなくてヨーロッパの。
日本から飛行機で11時間、約1万キロの彼方の異国の地に、10日間の日程。
そのあたりの旅行記はHPにまとめて、今もトップから過去コンテンツとして見られますが、当時の通信事情などもあって写真が小さいのが気になってたので、差し替えついでにブログに移植することにしました。
再掲に際して多少手を入れるところもありますが、基本的にはベタ移植。当時のイタい感じのノリもありますが、まあ若気の至りということでひとつ。
7/11(1日目)
オーストリア空港に到着したのは現地時間の午後5時。
日本との時差は約7時間。日本ではもう午後10時過ぎ。とはいえ、機内でいくらか眠ったので、それほど眠くはない。
しかしさすがに11時間は長かった。凝った節々を伸ばしながら、まずはシャトルバスでウィーンのホテルへ。
それにしてもいい天気。しかも夕方とは思えない青空で、またしても天気予報をいい意味で裏切ってくれました。
バスの車窓から見たウィーン西駅(の端っこ)。
1時間ほどバスに揺られて、ドリントホテルに到着。
目の前がウィーン西駅という好立地の4つ星ホテル……なのだけど、部屋は結構狭くて残念。2人部屋にソファベッドで強引に3人部屋仕様になってました。
でも2人部屋だとしてもちょっと狭いかも。やや広めのビジネスホテルと言った風情。
でもまあ、次の日の朝食は、ビュッフェ形式ながら、なかなかでした。
ホテルに荷物を置いて、電車でシェーンブルン宮殿へ。
シェーンブルン宮殿は、ハプスブルグ家の離宮で、マリー・アントワネットが幼少を過ごしたところでもあるそうな。
……とはいえ、既に内部見学時間は終了。
仕方ないので、裏手の庭園を見学することに。
裏にある庭園を抜けて、丘に登ったところ。
下の方に見えるのが宮殿。向こうにウィーンの町並みが見える。
雰囲気のある町並みで、見ているうちに教会の鐘が聞こえてきたりして、早速ヨーロッパらしい気分を味わってみたり。
ちなみにこの丘、結構勾配が厳しかったです。疲れというより、この暑さで汗だくになってしまいました。
丘の上に立つグロリエッテ展望テラス。
ちょっと分かりづらいですが、すごく大きいです。
真ん中の建物の、3つあるガラス窓の一番下に、黒い四角が見えると思いますが、これが入り口。中はガラス張りで明るく、カフェになってます。
カフェのオープンテラスで注文。
ザッハートルテとラズベリーかなんかのチョコレートケーキ。あとはコーヒーとアイスティ。
お冷やが付くのはウィーンならではなんだそうで。そういえば他の所ではなかったかも。
宮殿を出て電車でコールマクルト周辺へ。
この辺りはウィーンの中心。重厚な建物が建ち並び、ストリートパフォーマンスや行き交う人々でにぎわってました。
この右側にシュテファン寺院が。
これがシュテファン寺院。800年以上の歴史の重みを感じさせる建物で、内部も壮麗でした。
さすがに多少痛んでいるのか、一部は改装中でした。外壁が黒ずんでいるのは、酸性雨の影響なんでしょうか。
この鐘の音はホントに立派で、ウィーンにいればどこからでも聞こえてくるようです。
少し脇道に入ったところにあるペスト記念柱。
ペストが大流行した時に、疫病の終息を祈って建てられたそうです。
施された壮麗な彫刻は、キリスト教の三位一体を表しているとのこと。
そこから脇道に入り、夕食をいただきました。
いつもの事ながら、写真を撮るのを思い出すのは食べたあと(笑)。
ウィナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)となんとかケバブ(羊肉とナスとチーズのソテー)、スープを3人で注文。
これはコーヒーカップ。カエルの絵柄がかわいい。
このあとはホテルに帰り、ダラダラしつつ就寝。
それにしても日が沈んでからも暑かったのだけど、ホテルにはクーラーはなし。と言うか、この旅行を通してクーラーのある施設は数えるほどしかありませんでした。
あとで知ったことですが、今年はヨーロッパ全体が異常気象で、各地で猛暑になってたみたいです。フランスでは死者が出ていたとか。つまり、普段はクーラーなど要らない気候だったということですね。
このときはそんなことはつゆ知らず、単純に天気がいいことを喜んでました。
次の日はザルツブルグへ電車で行き、そこでレンタカーを借りてオーストリア最高峰のグロースグロックナー、さらにツェルアムゼーへ向かう予定。いろんなトラブルが待ってます。