レディ・プレイヤー1を見て感じた3つの「古臭さ」と、自分にとっての致命的な違和感

最初に言っておくと、結末を含むネタバレに踏み込むので、映画をまだ見てない人は読んではダメです。また、見て楽しかった人にはかなり水を差す内容になるので、やっぱり読まない方がいいと思う。

じゃあなんで書いたの、と言われると、自分がどう思ったかの備忘録、なのかなあ。こんなことツイッターとかでは書けないし。

言い訳として書いておくと、エンターテイメントとしては割と良く出来ていたと思う。2時間20分の長めの上映時間中退屈することはなかったし、総合的なレベルはかなり高かった。
それだけに、というか、タイトルで書いた古臭さと違和感が強烈に印象に残ってしまったのだけど……。


原作の小説「ゲーム・ウォーズ」(ダサい邦題)が邦訳されて結構話題になって、面白かったという記憶があったし、ゲームとVRが題材になっているということ、「あの」スピルバーグが監督ということで、警戒しつつも、それなりに期待はしてました。

警戒していた、というのはスピルバーグの最近の作品。
「マイノリティ・リポート」以降の作品はちょっとピンと来なくて、嫌味な言い方をすると、賞を取る向けの社会派映画に移行しているように思えたというところ。娯楽大作を取る人というイメージはあまりなくなっている感じ。


ちなみに原作読んだのは3年前なので、だいぶ、というかほとんど忘れていることを先に言っておきます。
映画と原作で共通する部分も多いので、映画を通じて原作を間接的に批判することにもなるかも。


で、映画を見てきたわけですが、なんか良くも悪くも「昔の映画っぽいなー」というのが全体を通しての感想。
これは、映画のネタとして80年代ポップカルチャーを扱っているから、というわけではなくて、トータルの雰囲気が、ホーム・アローンやらグーニーズやらの(スピルバーグ作品じゃないけど)、昔の映画のような感覚があったということ。
その辺の悪い面がタイトルの「古臭さ」になるということで、まずはそれを3つ。


一つ目は、キャラ描写の古臭さ。

悪役は分かりやすく悪役で、主人公を物理的に殺そうとしたりと間違いなく悪人なのにもかかわらず、パスワードを付箋に書いてたり、アバターになると邪悪な雰囲気のスーツ姿だったり、やられるときは股間を強打されて「オウフ!」ってなったりとコミカルな描写を入れたりしてて、カルキンにやられる強盗かよ! って思ってしまう。
結末も急に改心したり(あれ何でなんだろう)、パトカーの中で先に捕まっていた女暗殺者に殴られたりと、おいおい人殺しがコメディタッチで有耶無耶かよと醒めてしまった。


二つ目はVR描写。

原作は11年前ということで、まだVRも黎明期だったので、どう発展するかの予想は難しかったとは思うけど、2018年に作られた、未来を舞台にした映画としては全身をフルに動かしてVRやるというのは、ちょっと現実的ではないと思う。その辺はフィジカル系のVRゲームやった人なら実感できると思うけど。
VRにはVRに特化した操作系があって、人間の脳は割とそれに合わせられる(テレポート移動のゲームをしばらくやった後、ゴーグル外して最初に思ったのは「あれ、どうやって移動するんだっけ?」ということだった)と思う。
他にも、オアシスではみんな「歩いて」移動してて、セカンドライフでさえデフォルトで飛行移動が付いてたというのに、距離や重力という制約がないVR空間を平面的に(立体で空間を使用するシーンもあるにはある)使ってるのは、一般プレイヤーはともかく、VR上級者の主人公たちには「地面を歩いてるのは初心者」みたいなことを言ってほしかった。

まあこの辺は映画としての分かりやすさを重視したんだろうけど、ベテランだけに上手く未来描写を入れられたんじゃないかと(マイノリティリポートとか当時の未来感がすごくあった)


三つめと、タイトルに書いた違和感はゲーム・VRに対する感覚。

舞台背景として、アメリカは大恐慌並みに政府機能が崩壊してて、現実でどうしようもなくなった人たちがVRに逃避しているという設定があって、現実世界と仮想世界をどのように付き合っていくかというのがテーマの一つになってることは確かなんだけど、結論として、「実在するのは現実世界なんだから、VRは程々にしてリアルに生きようぜ!」的なラストになったのが、何それって感じになってしまった。
物語の中では別に現実の悲惨さはほとんど解決されてないし、そもそも主人公だってそういう境遇だったからオアシスに救いを求めてたのに、金と女が手に入った途端「リアルサイコーだから火曜と木曜はオアシス停止するわ」みたいなこと言いだして、お前いとも簡単に弱者のこと忘れるのなと幻滅してしまった。クソ野郎過ぎるでしょいくらなんでも。

ここが一番の引っかかりどころで、それまで「70点くらいかな」と思って観てた映画が、最後の最期で「え……50点……?」みたいな感じになってしまった。
別に自分も現実がダメでVR世界が最高だとは思ってないけど、VR空間だって現実の一部という当たり前のことに気づけてないあたり、スピルバーグももう過去の人なんだなと思ってしまった。
(この部分に関しては、もしかしたら原作の時点でそんな風になってたかもしれないけど、だったら気づけよ過去の自分、と思いたい)
理想を言うなら、主人公がオアシスを手に入れたことで、VRによってリアルが良くなり、リアルによってVRが良くなるという、共栄の未来を提示してほしかったなー……。


そんな感じ。原作読み直してみようと思って探したけど見つからないので、そのうち発掘して再読しようと思います。


(2018/04/23追記)
感想書いて1日経って思ったけど、あの世界のハリデイのイースターエッグ騒動って、結局懐古趣味のサブカル者が最強という、過去に閉じこもった価値観でできているわけで、それを打破して一歩先に進むためにも、ウェイドはボタンを押して、新しい、現実と未来を見る価値観のオアシスにするという結末にできたんじゃないかなと思った。

それにしても原作の結末が全く思い出せない。イースターエッグの謎解きと、スパイ的な出し抜き合いしか印象に残ってないんだよなー


あと、滞納者が強制労働させられてるシーンで、ちょっと「おっ?」と思って結局違ったんだけど、今作る映画だったら、鉱山労働(マイニング)させられてるというネタを入れてほしかったなー(笑)


(2018/05/07追記)
SFマガジン6月号のスピルバーグインタビュー読んだら「リアルが大事って言いたかった」的なことを言ってたので、ゲーム好きを公言してても所詮その程度だったんだなと思いました。